過去の日本のアーティスト紹介
今はすでに亡くなってしまったけれど、 日本にも博物画や図鑑など様々な分野でサイエンティフィックイラストレーションを描いた方々がいます。江戸以降に活躍した人を中心に、気づいた方から、 少しずつ掘り起こしていきたいと思います(選択基準は独断です)。
※作品を掲載する場合の著作権について
作者の死後50年以内、あるいは出版社による公表50年以内の作品については、現在著作権を管理している方に許可を得て掲載します
(許可を得ていない場合、あるいは許可が得られなかった場合は掲載しません)。
川原 慶賀 (かわはら けいが:1786-1862?)
シーボルトの絵師と呼ばれた、江戸時代の町絵師。
1786年長崎生まれ。
職業画家として独り立ちした後、出島出入絵師になった。1823年にシーボルトが出島に渡来すると、彼のもとで様々な写生画を描いた。描いた作品は
実際にシーボルトの著作にも活用され、海外に渡っている。1842年には禁止されていた長崎港の俯瞰図を
オランダ人の注文に応じて描いたとして、長崎を追放された。
1844年には長崎に戻り、町絵師としての仕事をしたといわれている。
慶賀の画はシーボルトに指導を受けたこともあり、写生は正確で学術的にも高い価値があるという。
風景描写などをみると西洋と日本の画法が組み合わさり、不思議なリアリティを感じる。標本画は精緻で画としてのバランスも取れている。これは
当時の時代背景を考えると、驚くべきことである。(ただし、慶賀は西洋の植物画の技法を熟知していたわけではないらしい。)慶賀の作品は海外に膨大な量
残っているもの
の、日本では数が少ないのが残念。
アケビの図 |
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参考
大場秀章2003『植物学と植物画』八坂書房
兼重護2003『シーボルトと町絵師慶賀』長崎新聞社
国立科学博物館編集2001『日本の博物図譜 十九世紀から現代まで』東海大学出版会
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平木 政次 (ひらきまさつぐ:1859~1943)
国立科学博物館で画工となった洋画家。
1859年東京生まれ。14歳で横浜に行き、五姓田芳柳のもとで洋画の指導を受けた。
写生技術を身につけた平木は、印刷会社の画工として入社する。
1880年になると、1877年に開館したばかりの教育博物館(国立科学博物館の前進)に
画工として任命され、主に植物写生と天体や生理に関する幻灯の制作を担当した。
平木は画工に止まらず、洋画家として活躍した。
平木の標本図は美しく精巧。
(筆者はまだ数枚しか見ていないけれど、惹きつける美しさがあり、
もっと見てみたいと思っています)
鳥類写生図 | イシガニ『蟹類写生図』より |
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参考
国立科学博物館編集2001『日本の博物図譜 十九世紀から現代まで』東海大学出版会
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牧野 富太郎 (まきのとみたろう:1862~1957)
明治期の日本において、系統的な分類を行う植物分類学の基礎を築いた。
1862年高知県生まれ。商家の出身で、幼少から植物に興味を抱き、独学で植物学を学ぶ。
1881年に上京して東京大学の植物教室に通い、多数の著作を発表した。その後は苦難にあいつつも、
学会で名声を確立し、晩年には多数の賞を与えられた。
標本収集と植物学研究、そしてその普及に生涯を捧げた。
牧野は自ら標本図を描いた。彼はただ植物を見たままに模写するのではなく、
その植物の「種の典型」を描き出そうとした。植物学に裏打ち
された、精密かつ科学的な描写が特徴である。四角い紙全体に、
バランスよく重要な情報(葉や花・実など)を配置し、魅せる技術も巧妙。
高知県立 牧野植物園 http://www.makino.or.jp/index.html
高知県立牧野植物園・(財)高知県牧野記念財団『牧野富太郎植物画集』アム・プロモーション
牧野富太郎1956『牧野富太郎自叙伝』長嶋書房
中村浩1955『牧野富太郎』金子書房
渋谷章1987『牧野富太郎』リブロポート
俵浩三1999『牧野植物図鑑の謎』平凡社
木原均ほか監修1988『近代日本生物学者小伝』平河出版社 など
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小林 重三(こばやししげかず1887~1975)
戦前戦後の60年に渡って鳥の絵を描き、日本の鳥類図鑑を支ええた鳥類画家。
1887年、福岡生まれ。小さいときから絵を描くのが好きで、
1905年から試農場や農事試験場で農作物などを描いた。
そして24歳の時に、松平頼孝の邸で鳥類画の道に入った。
松平は大量の標本を集めて図鑑を作ろうとしていた。
彼のもとで、小林は膨大な量の鳥類画を描いた。
しかし10年後に松平が破産し、小林の絵も散逸した。
失職後の小林は、鳥類学者の黒田長禮の誘いを受け、
黒田のもとで標本を写生するようになった。
その後、黒田長禮の『鳥類原色大図説』の絵を描きあげ、
黒田以外にも日本の多くの有名な鳥類学者のもとで、絵を描いた。
小林の絵は、正確なだけでなく、重量感や自然な動きがあり、
陰影を強く入れていなくても、丸みや暖かさを感じる。命のこもった絵である。
国松俊英1996『鳥を描き続けた男:鳥類画家小林重三』晶文社 国立科学博物館編集2001『日本の博物図譜 十九世紀から現代まで』東海大学出版会
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牧野 四子吉(まきのよねきち1900~1987)
生涯に3万点以上の作品を制作し、イラストレーターの著作権を守るため戦った生物画家。
1900年函館生まれ。中学時代に絵を学び、童話の挿絵画家として活躍する。
その後29歳で京都に移り住み、京都帝国大学(現 京都大学)理学部動物学教室の川村多實二教授
との交流するなかで図鑑の絵を描き始め、学術的な生物画家を目指すようになる。
戦後は図鑑ブームのなかで、数多くの作品を描いた。また、
当時意識の低かった画家の著作権を守るため、「日本理科美術協会」を結成し、
訴訟などで戦いながら、意識の向上のための活動を行った。
牧野の絵は精密で、特に魚類絵はカメラで撮影した写真以上に精緻さと生命感を感じる。
また、彼の描いたたくさんの生物たちは、正確でありながらも、作者の眼差しの暖かさを感じる。
田隅本生監修2005『牧野四子吉の世界 いきもの図鑑』東方出版株式会社
牧野四子吉の世界 http://www.yonemakinowork.org/
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熊田 千佳慕 (くまだちかぼ:1911-2009)
本名は熊田 五郎。「プチ・ファーブル」とも呼ばれ、生涯かけて昆虫や生物を描いた細密画家・絵本画家。
1911年横浜市生まれ。幼少期に父や兄から「ファーブル昆虫記」の話を聞き、憧れるようになる。
東京東京美術学校(現東京芸術大学)鋳造科に進学。在籍中、日本工房にデザイナーとして入社し
同じ会社にいた土門拳とともにポスターなどを制作する。終戦後、38歳で絵本画家になることを決意。
細密な描写のため作品制作に時間がかかり、生活は困窮を極めた。
70歳のときにボローニャ国際絵本原画展で入選。それ以降、国内でも賞を受賞し、
数多くの展覧会を開催するなど、活躍した。享年98歳。
熊田の
描画力は絵本画のみならず、サイエンティフィック・イラストレーションとしても第一級。
細やかな筆遣いからくる独特の質感が特徴的である。背景となる草や土も丁寧に、複雑に描きこんでいるにもかかわらず、
主役となる昆虫や生物が背景のなかに埋もれてしまうことはなく、そこにこめられた物語とともに
浮き上がってくるように見える。その技術には、画力だけでなく
デザイナーとしての経験がいかされているのかもしれない。
熊田千佳慕(2012)『熊田千佳慕 クマチカ先生の図鑑画集』求龍堂
熊田千佳慕(2009)『熊田千佳慕の世界 (花と虫の命を見つめて) [DVD] 』株式会社日経映像
熊田 千佳慕(2001年)『花を愛して - 熊田千佳慕の世界』 小学館
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薮内 正幸(やぶうちまさゆき:1940~2000)
生涯動物画を描いた、動物画家・絵本作家。
1940年大阪生まれ。動物が好きで、独学で動物画を描く。
高校卒業後、動物学者今泉吉典に図鑑絵を描かないかという誘いを受け、上京し、福音館書店に入社した。ペン画や不透明水彩の手法で、
図鑑や絵本の生物画を描き、1971年にフリーランスになる。1973年、サントリーの「愛鳥キャンペーン」の新聞広告の絵を担当し、一躍有名になった。
その後も多くの動物画を描いた。
2000年にガンでなくなった後、原画を管理・展示する施設として2004年に薮内正幸美術館(山梨県)が設立された。
驚くべきことに、薮内氏は写真を見なくても、学者が認めるレベルの生物画を描くことができたという。今泉氏のもとで一年間、大量の標本をスケッチ
したため、徹底的に骨格の構造が頭に入ったのだろう。写真ではなかなか撮れないような角度、ポーズの迫力ある生物画も多い。躍動感にあふれている一方で、
どこか温かさや親しみやすさもある。
シマフクロウ | 絵本「どうぶつのおかあさん」 の表紙絵 |
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参考
薮内正幸美術館 編 2004『ヤブさん 薮内正幸・動物画に生きた六十年』薮内正幸美術館
薮内正幸美術館 http://yabuuchi-art.jp/index.html
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岡崎 立(おかざきりゅう:1950~2004)
細密な鳥類画を描いたアーティスト。
1950 年愛知県豊橋市生まれ。大学中退後、インドネシアやニューギニアなどに移り住んだ。
1976年に、美学校細密画工房に入学し、昆虫画の立石鐵臣から2年間細密画を学んだ。
その後は野鳥の絵を中心に、図鑑、絵本、コマーシャルなどの仕事をした。
バンディングの資格を持ち、生きた野鳥や剥製を観察するなどして詳細な描写を行った。
また、細密な生態画だけでなく、銅版画や木口木版などのアート作品も制作した。
パートナーの植物画家、松岡真澄氏との合作も多い。2004年永眠、享年54歳。
岡崎氏の鳥の絵は、羽の一本一本、その重なりまで見て取れるほど細かい。
ここまで描き込むには、技術だけでなく鋭い観察力が必要である。 また、鳥が住む環境やそのなかでの鳥のポージング、場面設定も作りこんであり、
一枚の作品として飾りたくなる。
ヤマドリ | オオルリ |
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※画像は著作権管理者に許可を得て掲載しています。
参考
岡崎立1988『鳥百態:岡崎立作品集』山と渓谷社
岡崎立遺作展パンフレット2005『鳥が飛び立ったあとに』
「特集スペシャリストの世界 岡崎立」『イラストレーション』1987-8, 47, pp.43-47, 62-68
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杉浦 千里(すぎうらちさと:1962~2001)
円谷プロダクションのデザイナーであり、甲殻類のリアリスティックで精密な博物画を遺した早世の画家。
1962年横浜市生まれ。日本美術学校の日本画専科で学んだ後、
25歳で円谷プロダクションのコンテストで準グランプリに入選し、
円谷プロダクションで活躍。また、魚類図鑑の制作に参加し、
多数の魚類を描いたことがきっかけで博物学の世界に入る。
細密画の技法を学んだ後、多数の展覧会に作品を出品。
甲殻類を描き始めると、自らの手でも甲殻類を採集し、標本を作った。
描きこみが非常に細かく精密。生き物というか、精密な機械か新しい芸術品のようにも見えてくる。全体としては現実を超越したような、不思議なリアルさをも
ち、存在感を感じる作品。
アカモンガニ | ニシキエビ |
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参考
杉浦千里画・朝倉彰解説 2012『杉浦千里博物画図鑑 美しきエビとカニの世界』成山堂書店
杉浦千里の作品保存会 https://sites.google.com/site/chisatosugiura/Home
---------追加予定リスト
独断と偏見で掲載したい人をリストアップしてます。自分の課題として。
準備でき次第、のせていきます。
三木 文柳/丸山 応挙/森 春渓/岩崎 灌園/飯沼 慾斎/山本渓愚
栗本丹洲/増山雪斎/堀田 正敦/細川重賢/高木春山/平賀源内/水谷豊文
毛利梅園/服部雪斎/中島仰山/柴田是真
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(最終アップロード 2014年6月6日)